AGA育毛 (元)大企業リーマンは、ミノタブとフィンペシアで髪の毛を再生できるのか?(仮

ミノタブとフィンペシア服用で髪がどのように変化するか綴ります。

自己紹介・プロフィール

さて、ざっと自己紹介していきます。

 

出身:大阪

住まい:東京

年齢:34(2018年現在)

好きな食べ物:

嫌いな食べ物:特になし

性格:結構活発だと思います。

 

禿げるまでの経歴をざっと書きますか

 

大阪府池田市に生まれます。髪の毛あり。

 アクティブな少年だったと思いますね。よく喧嘩して親が相手方に謝ってました。家はかなり貧乏でした。

 

・小中高とバスケにハゲみました。この時も髪の毛あり。

 運動好きだった僕は、小学校時代は陸上・水泳・バスケと色々やって、なんかバスケをそのまま続けました。楽しかったんだと思います。勉強の楽しさを覚えたのは高校受験半年前で、高校は下から二番目くらいでしたね。

 高校時代は、「出席日数が足らなくて留年しますよ、お宅のお子さん」と先生が親に家庭訪問するくらい不真面目な学生でした。しかも、僕は幼馴染の同級生を暴行して高校を停学してしまいます(厳密に言えば、暴行したのは僕の友達で、友達と一緒にいた僕も連帯責任でということです。)。何か月だったか?とにかく、先生がまた家庭訪問で訪ねてきました。今でも先生が話してくれた内容を覚えてます。

 「当時、友達が挑発されてカッとなってな。殴った相手がやくざやってな。そいつは、、、お前はな、人に挑発されても我慢しないとダメやってんぞ。」と少し泣きながら先生が言っていたような覚えがあります。

・大学は、東京の大学に進学しました。この時も髪の毛あり。

 大学受験においては、勉強はやっていたけど進学校でもなく大学受験対策ゼロのまま、結局一浪して本気で勉強するはめになります。一浪時代は、一日8~10hほど勉強して大学に受かりました。今思えば、奇跡でした。

 

 ちょうど、大学受験合格後の19歳あたりから頭髪がヤバいことに気づきました。

 正直、大学受験時は、貧乏だったので三食食べることも出来ずお風呂も入らず、ひたすら勉強していたせいで頭髪がきてしまったのだと思います。当時、結構焦りましたが、健康的な生活を心がけたおかげで普通に回復しました。ただ、生え際のラインが、0.5から1cmほど後退してそのまま元に戻ることはありませんでした。

 

 意外と思われるかもしれないですが、僕は、底辺の高校、しかもどちらかというと高校を停学になるような不真面目な学生だったのですが、理系として大学に進学しました。その後、大学四年間はホント勉強しかしませんでしたね。三年次後半から研究室に所属して何かしら研究していきますが、その研究室でソファーベッドを買ってもらって、四年次の半分以上を寝泊まりしてました。

 

・大学院に進学しました。この時も髪の毛あり。

 これも意外ですが、この時点でも僕は毛がありましたね。正直、他の人よりも毛があったと思います。ストレス的には、かなり負荷の高いことばかりやってきたように思います。大学でも結構勉強してましたし。それでも普通に髪の毛がありました。悩み事でもありませんでしたし。

 

 そして、何故だか不真面目な僕は、大学院の試験に合格して大学院に進学することになりました。 

就職氷河期の中、大企業から内定をもらって社会人になる。当初は、髪の毛はふさふさでしたね。

 僕は、難なくと言えば恐れ多いですけど、「このままじゃ卒業させない」とか、教授に言われながらも、就職氷河期の中でも普通に誰もが聞いたことがある大企業に内定を貰っていたので卒業後、その会社に入社しました。

 正直、地元の友達には、底辺高校から大学・大学院、そして大企業内定と典型的な成功例としてウザがられていたのを記憶してます。髪の毛もふさふさでしたし。僕の良さでもあったんですけど、勉強してる割には全然勉強していない不真面目な馬鹿っぽいナリだったと思います。早めに就職した友達の髪の毛の方が薄くて驚いたのを覚えてます。

 やはり仕事でオッサン化が始まるのかな、と

 

・社会人一年目、最悪のスタート。

 僕は今でも覚えてますけど、やっぱり良くない予感というのは直観的に感じるものです。社会人として内定式等終えてから、配属部署の部長に新入社員歓迎会にて「校歌を歌え」と言われる。しかも、部長、課長のオッサンどもが肩を組み合って歌を歌っているではないか。「なんだこいつらは?」と、かなり驚いたのを覚えています。「知らないですね」で終わらせましたが、瞬時にコイツらとは「仲良くできないな」と嫌な予感がしました。

 その予感は的中して、入社一年目の最初の面談にて「お前飛ばすぞ」と怒鳴り散らかされる始末。それを言われたところで「自分に一切非はない」と考え、一切改心することなく仕事に対してもどんどん興味が薄れていったのを覚えています。

 

・社会人二年目以降、退職まで

 初年度のことがあり、すでに会社に興味を失っていた自分を他所に、一応新人ということもあり、どんどん仕事を与えられました。マインドコントロールというのは知っていたので、どんどん負荷が高くなってくるんだろーなー、と思いながら、最初の簡単なタスクを余裕でこなしていたら、やはりどんどんエスカレートしていきました。

 不思議なことに、僕の場合、システムエンジニアという仕事に対して何をやっても全く興味が湧かず、周りの同僚・先輩に対しても話し掛けた記憶がありません。

 仕事がつまらな過ぎて、三年目からどんどん会社を休みがちになり「辞めても良いか」と考えるようになってました。ちょうどいいタイミングで人事面談と重なった為、それを伝えたら四年目の区切りで異動になりました。その四年間で、僕が部長含めその職場の人とプライベート等会話する時間は、ほぼゼロに等しかったと思います。「送別会やろうか?」ともいわれましたが断ったので、最後の最後まで何の繋がりもなく異動しました。

 

(以下編集中)